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大阪地方裁判所 昭和58年(ヨ)1418号 決定

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

二当裁判所の判断

1(一) 申請外久保芳太郎(以下、芳太郎という。)は、別紙第二物件目録(一)、(二)各記載の土地(以下、(一)、(二)各記載の土地をそれぞれ甲地、乙地という。)を申請外善久寺(以下、善久寺という。)より賃借し、甲地上に同目録(三)記載の建物(以下、(三)建物という。)を、乙地上に同目録(四)記載の建物(以下、(四)建物という。)をそれぞれ所有していたところ、昭和二三年三月二三日ころ、申請外辻弥三郎(以下、弥三郎という。)に対し、善久寺承諾のうえ、乙地の賃借権及び(四)建物を譲渡(以下、本件譲渡という。)した。

(二) 甲地は、北側が東西に走る公道に隣接していたが、乙地は、南側が川に面し、北側は甲地に、東、西側は第三者の所有又は利用する土地に隣接する袋地となつたため、弥三郎及びその家族は、別紙図面表示のA・ハ・ニ・Fの各点(以下、別紙図面表示の各点は符合のみで表示する。)を順次直線で結んだ範囲の土地(以下、丙地という。)内を公路への出入のために無償で通行し、これにつき善久寺、芳太郎及びその家族から拒否されたことはなかつた。

(三) 昭和三九年ころ、乙地の南側に存した川が埋めたてられて公道になり、乙地の南側は東西に走る公路に隣接することとなり、そのころ、(四)建物が取毀され、乙地上北側に別紙第二物件目録(五)記載の建物(以下、(五)建物という。)が、南側に同目録(六)記載の建物(以下、(六)建物という。)がそれぞれ新築された。

(四) その後、申請人は、弥三郎が昭和四七年五月一三日死亡したため、乙地の賃借権及び(五)、(六)建物の所有権を相続した。

(五) 被申請人久保は、昭和五八年三月一〇日ころ、(三)建物を取毀し、そのころ、被申請人久保から請負つた被申請人大阪中央ナショナル住宅株式会社は、甲地上の住宅新築工事に着手し、別紙図面イ・ロ点を直線で結んだ線を新築建物基礎の東端とし、イ・ロ線よりさらに東側六〇センチメートルの範囲の土地に排水管、コンクリート製集水桝、ガス温水機等を設置しようとしている。

以上の事実は当事者間に争いがない。

2 疎明によれば、本件譲渡当時(三)建物基礎の東端線がほぼ別紙図面ハ・ニ線上に位置し、丙地は、空地状になつていたこと、同図面A・ハ線上には板塀が設置されていたが、ほぼA・ホ間に巾約九〇センチメートルの開口部が設けられ、木戸で開閉するようにして(三)(四)建物の居住者の出入口として利用されてきたこと、丙地は昭和五二年ころまで、右出入口への通路とともに被申請人の祖父母の洗い張りの仕事場としても利用され、そのため丙地の南北中心線付近には、南側、北側に各一本ずつ生地を干すための紐を掛ける棒が抗状に存在したこと、本件譲渡当時(四)建物の東側玄関の前には門があり、また、甲地乙地の境界付近には塀が設置されていたこと、以上の事実が一応認められる。

3(一) ところで、申請人は、芳太郎と善久寺との間で丙地に通行地役権を設定し、本件譲渡の際、弥三郎が芳太郎から右地役権を譲受けた旨、しからずとしても本件譲渡の際丙地の賃借権もあわせて弥三郎が譲受けた旨主張するので検討する。

申請人は、右主張の根拠として弥三郎が本件譲渡に際し、別紙図面A・ハ間に存した塀、門(木戸)を譲受けた旨強調するが、疎甲二号証(不動産売渡証書)によれば、弥三郎は、(四)建物に附随して塀、門を譲受けたことが認められるものの、前記認定のとおりA・ハ間に塀、木戸があつた他、甲地、乙地の境界付近にも塀が、(四)建物の東側にも門がそれぞれあつたのであるから、疎甲二号証からは、弥三郎がA・ハ間に存した塀、木戸を譲受けたと断定できないこと、さらに、弥三郎及びその家族が丙地内を無償で通行し、善久寺、芳太郎及びその家族がこれを容認していた事実は、当事者間に争いのないところであるが、乙地の利用者が甲地を通行することは、地役権、賃借権によらなくとも、後記のとおり囲繞地通行権によつてもなしうること、その他前記認定の丙地の利用状況を併せ考えれば、他に適切な疎明資料がない以上弥三郎さらに申請人が丙地又はその一部について地役権又は賃借権を取得したと解することは到底出来ない。

(二) 民法二一〇条ないし二一三条の規定は、土地所有間の規定であるが、相隣接する土地相互間の利用の調節を目的とする社会公益的制度である趣旨から考え、不動産賃借権者間にも類推適用すべきであるところ、前記のとおり、本件譲渡により乙地が袋地となつたことは当事者間に争いがなく、従つて、弥三郎は、本件譲渡により丙地内に囲繞地通行権を取得したことは明らかである。そして通行の場所、方法は、通行の必要の限度において囲繞地のため損害の最も少ない範囲に限られるべきであるから、本件ではA・ホ間に存した木戸巾に見合う別紙図面A・ホ・ヘ・Fを順次直線で結んだ範囲の土地につき囲繞地通行権を取得したことが認められる。なお、本件譲渡の際、乙地が袋地となることは芳太郎、弥三郎両名に明らかであつた以上、丙地内の通行に関し両者間で何らかの取極めがなされたことは推測できなくはないが、その内容は、他に疎明資料がない以上囲繞地通行権の確認的なものでしかないと解すべきである。

ところで、囲繞地通行権は、囲繞地の所有者、利用者らに最少限度の犠牲を強いることによつて土地利用の確保をはかる制度であるところ、本件では、前記のとおり、昭和三九年ころ、乙地の南側に存した川が埋めたてられ、乙地は、南側が公道に接し、袋地でなくなつたのであるから、前示法条の趣旨に照らし、右時点で前認定の丙地内の囲繞地通行権は消滅したと解するのが相当である。なお、昭和三九年以降も弥三郎、申請人らは、丙地内を通行していたようであるが、新たに丙地内の通行についての合意がなされたとの疎明がない以上、それは社交的、恩恵的に許された通行であると解すべきである。

因に、本件土地の通行が認められない場合は、乙地上の(六)建物が乙地南側にほぼ東西巾いつぱいに建てられているため、(五)建物居住者の公道への出入りが不便になるばかりでなく、(五)建物の敷地が建築基準法四三条に規定するいわゆる接道要件に違反するため建替えが出来なくなる事情が窺えるが、このような不便は、(五)、(六)建物の建築に際して申請人側で回避することが出来たはずであり、右事情は、本件通行権の判断に何らの消長を来たさない。

(松本史郎)

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